姫路港ポートセールス推進協議会

English

姫路港について知りたい

船イラスト

HOMEHOME > 姫路港について知りたい > 概要

姫路港の概要

姫路港は瀬戸内海の東部、播磨地域の中央部の姫路市臨海部に位置する国際拠点港湾で、港湾区域は、東西18kmにわたり、面積約7,700haを有しており、隣接する重要港湾東播磨港とともに、工業港として、我が国の経済に重要な役割を果たしています。
姫路港は、古くは、瀬戸内海の交通の要衝として、城下町「姫路」を支える港として発展してきましたが、大きく発展したのは戦後であり、公共岸壁の整備と併せ、工場などの立地によって専用施設の整備が進められました。また、本港は、近畿のエネルギーの供給基地でもあり、発電所・LNG基地施設等が立地しています。
野田川の河口に開けた旧飾磨港(飾磨地区)は古くは、「思賀麻江」と称し、瀬戸内海を往来する船はもとより、遣唐使の船も停泊して賑わいました。西暦985年花山天皇行幸のおり「飾万津」と改称され、その後1千年間内海航路の要衝として隆盛を極めました。
江戸時代は舟運によって、世界文化遺産に指定された姫路城と結ばれ、姫路藩の「海の玄関口」として栄え、明治22年港名を飾磨港とし、その後、昭和6年主要港湾に編入されて、昭和10年第二種重要港湾指定を実現し、次々と製鋼工場等の工場誘致を図りました。また、広畑港(広畑地区)では、半官半民の日本製鉄(現:日本製鉄株式会社 広畑製鉄所)により岸壁・防波堤・航路・泊地などの港湾施設が次々整備される中、昭和14年、当時世界でも有数の千トン高炉に火が入りました。
太平洋戦争に入り、軍備増強の軍需による急激な生産増強の要請に伴い、本港臨海部の工業化が急速に進み、中断していた飾磨港の改修工事が昭和18年から再開され、広畑港とともに港湾施設の整備が進められました。戦後、昭和26年1月に、飾磨港、広畑港、網干港を包含し、姫路港として重要港湾に指定され、さらに、昭和34年4月開港に指定されました。
昭和33年、通産省の鉱工業整備地帯として播磨地区が指定されたのに伴い、その中心港として港湾整備5箇年計画(昭和33〜37年)に基づき、飾磨地区の-10m岸壁、広畑地区の航路浚渫、網干地区の防波堤、航路浚渫等の工事に着手し、昭和42年6月、播磨地区の中枢をなす港湾として、特定重要港湾に指定され、現在の姫路港の形態を整えました。
平成29年における本港の取扱貨物量は化学工業品、金属機械工業品、鉱産品を中心に外貿2,118万トン、内貿1,340万トン、合計3,458万トンです。
近年、本港を取り巻く情勢は大きく変化しており、バルク貨物船の大型化や製造業の国内回帰が進展し、少子高齢化や東京への一極集中等に対し、地域の活力を維持する地域創生の推進が求められています。
このため、姫路港がこれからも地域を牽引する港としての役割を果たしていくため、「物流・産業」「交流・生活」「自然・環境」「安全・安心」の4つの機能が融合した活気ある港の実現を目指し、令和10年代半ばを目標年次として令和元年7月に姫路港港湾計画を改訂しました。

姫路港港湾計画の改訂について 姫路港における主要施策の空間配置を開く(PDF)
■姫路港の法令上の指定■
  1. 港湾法:特定重要港湾の指定(昭和42年)
    (平成23年4月1日、法改正により国際拠点港湾に名称変更)
  2. 関税法:開港の指定(昭和34年)
  3. 港則法:特定港の指定(昭和38年)
  4. 港湾運送事業法:指定港(二種港)(昭和28年)
  5. 植物防疫法:植物防疫港の指定(昭和42年)
  6. 検疫法:無線検疫港の指定(昭和54年)
  7. 家畜伝染病予防法:動物検疫港の指定(平成2年)
  8. 出入国管理及び難民認定法:指定港(昭和26年)

なお、検疫法による検疫港の指定はない